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ひとりずつ、ひとつずつ 子どもたちに寄り添うミュージシャン
シンガーソングライター
こうなんYOU輝代表 佐藤潤さんJunSato

最初に佐藤潤さんに会ったのは、十年近く前の港南公会堂だった。子育て関係のシンポジウムで会場から発言をしていた。「教師をやめて子ども達のために何かやりたいんだ」と。その後地域のイベントなどで歌う姿を見かけ子どもたちに寄り添うミュージシャンた。はじめて彼の歌をじっくり聞いたうた時、いい詩、いい歌声に胸がじんとした。

まだ少し朝露の残る港南台中央公園の草むらに座って、お話を伺った。

佐藤潤さんは、ガイドヘルパーとして障がい児・者の支援をしている。目下十人位の利用者の送迎や付き添いなどをしている毎日だという。
また、2011年に「こうなんYOU輝」を立ち上げ、不登校・ひきこもりの子どもや若者達の支援をしている。子ども達は一人一人違う。試行錯誤しながら、結果を出すことを急がず、焦らずゆっくり取り組んでいるという。
その中の取り組みの一つが「ごはんやyou輝」。毎月2回、野庭団地サブセンター内のコミュニティールームを借りて時間だけのカレー屋さんを開いている。
これは、就労支援として行っているもので、仕込みから接客、販売まで、子ども達と一緒に行う。こうした経験を通して、学校に通い始めた子やアルバイトをするようになった子もいるそうだ。

将来の夢は、漠然と「小学校の先生」と思っていた。子どもの頃から面倒見がよく、学級委員などもやっていたので、周囲の人たちからそう期待されていた。だからなのか、進路を決める時は自然と教師の道を選んだ。高校・大学時代は野球部の活動に没頭。高校では主将、大学では副主将を務め、チームをまとめた。
ところが、いざ就職の時期を迎えた時、学校という「組織」に入ることに違和感をもった。「今のような状態で教師になっていいのだろうか」そんな悶々とした時期を経て、突然の恩師からの声かけで、小学校の臨任の先生となる。数年後「港南台ひの特別支援学校」に移り三年間を務めた。そして、今に至る。

シンガーソングライターという顔ももつ潤さん。音楽を始めたのは、25歳の時だった。お兄さんのギターを借りていきなり曲を作った。友人の結婚式などで披露すると、これが好評価。本格的にやりたいと思うようになった。
作曲を重ね、コンテストなどに挑戦しているうちに四谷のライブハウスに出演できるようになった。そこで出会ったのがギタリストのアキさん。彼にギターのレッスンを受け、ツアーにも同行して全国を回った。やがてソロで活動するようになり、2011年、港南台をイメージして作った曲「手をつなごう」が第10回ミュージシャングランプリOSAKAの東日本復興応援歌最優秀賞に輝いた。

教師をしている時も子ども達とよく歌を歌ったという。一緒に詩を作ったりもした。
どんなところにも音楽はある。障がい者福祉の世界もそうだ。音楽をやっていることが福祉の取り組みの中で活かされることも多いし、音楽の仕事の依頼も福祉関係のものが多いとのこと。愛媛県で行われた「きょうされん※注)全国大会」のテーマソングを作成したのもその一つと言えるだろう。潤さんの中で音楽と福祉は自然に両立しているようだ。

「目指しているものはなに?」
そう尋ねると、「う~ん、なんだろうな~」と雲間から広がり始めた青空を見上げて笑った。
「ただ、ここに佐藤潤がいる、だから安心していられる...と思ってもらえるといいな」という。なにかあったら相談できる...と。
「相談されたらなんでも解決できるの?」とあえて聞いてみると、即座に返事がかえってきた。
解決できる...という確信はないが、「一緒に考える」という自信はある。一緒に考えているといろいろなアイディアがどんどん浮かんでくるんだ。糸口を求めて動き回ることは全く苦ではない、むしろ喜びと言えるのかもしれない。
もっと歌がヒットしたら...と願わないわけでもない、大きな舞台で歌いたいとも思う。
でも、チャンスを待つ暇もなければ、追いかけるつもりもない。大切にしたいものは目の前にある。助けを求めている子ども達や、地域で歌を楽しんでくれる人達を後回しにはしたくない。

ひとりずつ、ひとつずつ。形にとらわれず、真摯に、丁寧に受け止めていきたい。

野心家でも評論家でもない。
困っている子ども達と、とことん一緒に生きていこう...という一人の実践者の姿をそこに見た気がした。




※注障がいのある人達の作業所や施設などの全国組織

レポート◎岡野富茂子/菅野裕子文◎岡野富茂子撮影◎菅野裕子取材日◎2017年8月3日
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